2月29日、うるう日です

釈迦の教えの諸行無常とは、「この世のものは形も本質も常に変化していて同一性を保持するものは何一つとしてない」ということだと知り(マジだ…)と思った
もし今わたしが得も言われぬ不良だったら腕に「諸行無常」って彫るとこだった

よく「この歳までこうなんだから一生変わらないよ」みたいなことを言ったりするけど、
諸行無常は死ぬときまで変わり続けることが出来る(“できる”というか息をする様に自然なことだみたいな感じだと思う)という希望にもとれるし、同じものに固執することへの絶望も含んでいるようでとてもいい、と思いました

あくまでもわたしの解釈で、何かでちらっと読んだだけのまったくの無知なので解釈が全然違うわバカヤロウがって怒られるかもしれない 釈迦に そしたらごめんって言う


そこから派生していろいろ考えてたんですけど、思えばわたしは小さい頃から何かが“変わる”というのがとても嫌でした
親が年取るのも嫌だしおうちが古くなっていくのも嫌だしみんないっしょにこのままがいいってよく思ってました(かわいいですね)
もうなんか嫌すぎて夜ねる前に1人でしくしく泣くような子だった

今でもかなり子供っぽいし夢みがちというか、しっかりしろよって感じなんだけど、それも変わりたくないと思った結果なのかなあと思います

そういう意味で自分でもダメだと思う部分が恐ろしくいっぱいあるけど、そのダメな部分とは比にならないくらいほんとにちょっぴりだけどそこに自分の良さを見出してたりもして、それがちゃんと“変われない”原因なんだろうなとも思ったりした

あれ?何が言いたいのか分からなくなってきた

とりあえずそういう頑固さを捨てて変わらなきゃいけない局面にきているようで(ほんとはとっくに来てたけど)、いつまでも甘えてちゃダメなんだと思ってます

わたしは死ぬほど不器用なのでそのちょっぴりの良さを残しつつ変われるか自信がないんだけど、そうなったらそうなったでしょうがないかな…とかなんかよく分からない寂しさを感じている

死ぬときにはまったく違う人になってたらそれはそれでおもしろい
いと諸行無常なり


以上です
(諸行無常関係の方怒らないでください。)